三千院

紅葉の三千院

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三千院門主 堀澤祖門

ナチュラルな世界・・・色即是空とは

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「枠」を破って「ひとつ」を生きる

小出:堀澤さんはよく「枠を破る」というようなことをおっしゃいますね。

堀澤:うん。概念、観念というものは、要するに、リアリティーのないものなんだから。頭の中でこねくりまわしたもんだろう? それはぜんぶ妄想なんだ。枠を破っていかなきゃなにもはじまらない。

小出:私自身、ずっと、ここではないどこか遠くに、まあ言ってみれば「さとりワンダーランド」みたいなものがキラキラと展開されているんだっていう夢物語を抱いていたんです。でもそれは単なる思い込みだったんですね。

堀澤:うん。それが枠なのよ。

小出:はい。あるとき、その枠を破るというか、超えるような気づきがあって。まあ簡単にまとめてしまえば、「私が求めていた世界は、まさにいまここにあった!」というか、「私が求めていた"そこ"と、いまいる"ここ"はひとつだった!」というか、そういうようなものなんですけれど。 ずっとずっと、いつか、ここではない「さとり」の世界にたどり着けたら、自分は安心して生きていけるんだろうって思っていた。でも、ほんとうのところ、いまここ以外に世界はなかった。いまここに「すべて」があったんです。いまここで、すべてのものが、別々の個性を保ったままにひとつとしてあって、そこに分離感はまったくなくて......。ごめんなさい、うまく表現できないのですが......。

堀澤:そう。我々は普段は分離の世界を生きているんだ。でも本来的にはひとつなんだな。逆に言えば、ひとつであるっていうことが基本なんだから、分離していてもいいんだ。まあ、別々のいのちをそれぞれに生きていると思っていると、ひとつなんだって言われてもわかりづらいんだけれどね。このひとつということがわかるっていうのが大事なことなんだ。

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「泥仏」としての自分を生きること

◆「さとり」なんかどこにもない!

小出:新刊、拝読させていただきました。「さとり」に対する思い込みをじゃんじゃん取り払ってくれるような、ほんとうに素晴らしい本でした。

堀澤:うん。私はね、そもそも「さとり」とかいう概念、観念を持ち込んだこと自体が間違いなんじゃないかと思うんですよ。

小出:えーと、今回のインタビューの連載のタイトルは「ひらけ! さとり!」なのですが......(笑)

堀澤:ハハハ(笑) だから、禅宗の坊さんが、まあ駄洒落言ったのかね、「釈迦といういたずらものが世に出でて」とかいう歌があるじゃない。

小出:一休さんですね。「釈迦といういたずらものが世に出でて多くの人を惑わするかな」。すさまじい歌ですよね......。

堀澤:まあ、お釈迦さま自身が「さとり」という言葉を使ったかどうかはわからないけれども、やっぱり周りの人はそう見るじゃない。「お釈迦さまはさとった。私もさとりたい」って。

小出:そうなっちゃうんですよねえ。

堀澤:あんたなんかもそうなんじゃない?(笑) で、そのために長い人生を四苦八苦して暮らすんだ。

小出:耳が痛いお話です......。

堀澤:まあ私もそうだったんだけれど。でも、気がついてみたら「さとり」なんかどこにもなかったんだな。

小出:「さとり」なんかどこにもなかった!

堀澤:なかったというか、このままで仏なんだっていうことよ。

小出:このままで仏......。

堀澤:しかし、それに気がつくまでが大変だ。だから宗教界がそういう風に売りこんじゃっているんだな。いかにも「さとり」というものがあるかのように、一種の概念として作り上げてしまった。ほんとうはその概念を壊さないといけないんだね。

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